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柘植文の編集部かんさつ日記 第686話「よろしくお願いします」


施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第20回 映画と小旅行

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第20回 映画と小旅行

先日、大洗へ小旅行に行った。大洗と言えばガルパンだが、聖地巡礼が目的じゃない。きっかけは『ゴーストライター』というサスペンス映画だ。主人公のライターが海辺の別荘で執筆する場面があって、曇天と寂しげなロケーションが印象的だった。「こういう場所で仕事とか読書して過ごしたい」と当時思い、十年以上経った今もぼんやり思っていて、似た雰囲気を持つオーシャンビューの旅館を探し、泊まりに行くことにした。

ちょっと高めの宿だが、広いテラスがあってすぐ目の前に海が広がっている。リゾート的な砂浜ではなく、岩の多い海岸線。波が岩にぶつかるたび荒々しく白い飛沫が舞う。映画と同じ曇った日で、春だけど海風が冷たい。荒涼とした海だ。永遠に見ていられる。

テラスのテーブルに、持ってきた本を置く。終末物のSFと古いミステリと海外古典文学。いずれも特別な場所で読みたかった小説だ。時間帯的に肌寒く、集中できなさそうだ。ひとまずスマホを開くとKindleが期間限定のセール中だった。『コンテナ物語』を半額で買う。小説ではないが前から読みたかった本だ。コンテナというシステムがいかに世界の流通を変えグローバリーゼーションを実現させたのか描いたノンフィクション。帯でビル・ゲイツが推薦している。テラスの雰囲気には合わないが面白い。読みながら何年か前に観た映画のワンシーンを思い出す。アクション大作のクライマックスで、巨大なコンテナが空から大量に降ってくる。何の映画だったか思い出せない。その場面以外の内容もわからない。『トランスフォーマー/ロストエイジ』だったかもしれない。ネットフリックスにあったので確認してみる。確かにコンテナは降ってくるが何か違う。色々ググると『特攻野郎Aチーム THE MOVIE』がそれっぽい。ディズニープラスにあったのでクライマックスだけ観る。これだ。ひと昔前の映画だからか、記憶の中よりもCGがしょぼい。スマホを持つ手が冷たくなってきて、部屋に戻った。ヒーター横のソファに寝そべり、特攻野郎Aチームのウィキペディアを流し読みする。満足してTwitterを開くと、アカデミー賞会場でウィル・スミスがビンタした事件について盛り上がっていた。ぼんやりとタイムラインを眺める。気がつくと一日が経っていて、チェックアウトの時間になっていた。

本は一度も開いていないし、Kindleの『コンテナ物語』も第一章しか読んでいない。そういえば仕事の道具も持ってきていたがすっかり忘れていた。ウィル・スミスの話題をひたすらネットで追っていただけだ。やっていることは自宅と変わらない。

ただ海岸の寂しげな景色は素晴らしく、海を見たくなったらまたここに来たいと思った。映画で見たワンシーンがここへ連れてきてくれたのは確かだ。『ゴーストライター』がどんな話だったのか、全く覚えていない。

柘植文の編集部かんさつ日記 第687話「ぬいぐるみにもそんな話を?」

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(次回は7月13日更新です)

柘植文の編集部かんさつ日記 第688話「謎のこだわり」

柘植文の編集部かんさつ日記 第689話「人間を1番殺してる生物らしいので」

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(次回は7月27日更新です)

柘植文の編集部かんさつ日記 第690話「1人だけひいきして部内の調和は乱れないでしょうか」

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第21回 天才児

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第21回 天才児

子供の頃天才児に憧れていた。というか今でも憧れている。残念ながら天才でも児童でもないので、天才児の映画を観て満足している。天才児は周囲と馴染めず、孤立しがちだ。天才ゆえの孤独が描かれ、大抵は家族や理解ある大人に救われる。『ギフテッド』『ボビーフィッシャーを探して』『天才スピヴェット』、ネトフリのドラマ『クイーンズ・ギャンビット』。思い出せないが、天才児が出てくる映画は無数にある。元天才子役のジョディ・フォスターは、天才児の話『リトルマン・テイト』の監督をしていた。天才児が凡庸な大人になる話も切なくて好きだ。『マグノリア』には落ちぶれた元天才クイズ少年が出てくる。
僕が一番印象に残っている天才児は、実は映画ではない。二十年前に放送された公共広告機構のCMだ。こんな内容だった。小学校低学年くらいの教室。授業で画用紙に絵を描いている。周囲が普通にお絵描きしている中、ひとりの少年が画用紙全面を真っ黒に塗り潰している。塗り終わると別の紙を黒く塗りつぶす。教師や医者、たくさんの大人達が戸惑いながら見守る中、彼は何十枚も何百枚も画用紙を黒く塗り潰していく。最終的に、紙を並べると巨大な黒いクジラが現れ、大人達は少年が何をしたかったのか理解してCMは終わる。世界中で賞を獲った、歴史に残るCMだ。
僕はこのCMが、実のところあまり好きではない。子供が理解されて良かったみたいな筋書きだが、僕には大人が安心できて良かったと言っているように見えた。実はクジラでしたなんて、大人を安心させるためとしか思えない、あまりにもわかりやすいオチじゃないか。もし少年に完成のビジョンなどなく、ひたすら衝動に従って黒く塗り続けているだけだとしたら、どうなっていただろう。理解できない不気味な子供に大人達が不安を募らせるだけの映像、CMなど成立しない。果たしてそれはバッドエンドなのだろうか。バッドもグッドもないが、少年が純粋かつ崇高な表現者に見えたかもしれない。クジラが現れた瞬間、華麗な伏線回収を見るような理解の快楽が訪れ、作品がショーとして成立してしまった。黒塗りは、止められない魂の叫びではなく、完成を見据えた地道な作業だった。少年は苦悩する芸術家から、ドヤ顔のエンターテイナーに変わってしまったのだ。
ここまで書いておきながら、それも間違っているような気がしてきた。芸術など僕にはわからない。どちらのパターンでも天才児感は十分にある。好みの問題だ。僕はクジラを作らない少年に惹かれる。
クジラを描いた少年は、将来どうなったのだろう。多分こういうCMを作る仕事をしている。クジラを作らなかった少年が仮に存在していたとしたら、彼は将来どうなっていたのだろう。良くも悪くも想像が膨らむ。二十年経った今でも、時々思い出してそんなことを考えてしまう。

柘植文の編集部かんさつ日記 第691話「若いパワー」

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(次回は8月10日更新です)


柘植文の編集部かんさつ日記 第692話「どの動物?」

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(次回は8月17日更新です)

柘植文の編集部かんさつ日記 第693話「最初からムリだったんでしょうか」

柘植文の編集部かんさつ日記 第694話「罪悪感」

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(次回は8月31日更新です)

柘植文の編集部かんさつ日記 第695話「いやし」

施川ユウキ映画コラム「全ての映画は、ながしかく」第22回 救命士

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第22回 救命士

あまり有名じゃないし評価も高くないが、個人的に好きな映画がいくつかある。そのひとつが『救命士』だ。90年代初頭の荒れたニューヨークを舞台に、ギリギリの精神状態で夜勤をこなすひとりの救命士が描かれる。処置する傷病者は主に薬物中毒者、ドラッグの売人、娼婦、ホームレス。社会の底辺を救急車で駆けずり回り、ひたすら現場と病院を往復する。ドラマチックな展開は特にない。

ニコラス・ケイジ演じる主人公フランクは、激務と不眠症による幻覚や幻聴に悩まされていて、常に疲れ切った顔をしている。「もう何ヶ月も人を救っていない」というモノローグで物語は始まる。不眠症映画もモノローグ映画も大好物だ。眠れない男の独白で進んでいく物語は純文学っぽくて良い。監督脚本コンビが同じ『タクシードライバー』、生涯ベスト級に好きな『ファイト・クラブ』もそうだ。最近だと『ザ・バットマン』が似た主人公像を持っている。

救命士としての達成感のないまま、日々過重労働で身も心もすり減らされていくフランク。労働環境がブラック過ぎて同僚の救命士もみんなどこかおかしい。この映画を観たのは20代終わりの頃だ。仕事が増え、限界を越えた量の〆切を抱えヒーヒー言っていた時期にたまたま出会った。自然とフランクに自分が重なる。僕も夜型だったし、忙しい割に達成感が乏しく、偏頭痛に悩まされピリピリもしていた。訳のわからない長ゼリフのネームを描いては誤植され、自分が不当に扱われていると一方的に思ったりしていた。遅刻したフランクが「俺をクビにしろ」と喚くシーンを観て、〆切をぶっちぎっておいて逆ギレしたことを思い出す。

フランクが誰かの命を救い、フランク自身も救われて終わるのが物語的にはセオリーなのだけど、この映画はそうならない。ネタバレしてしまうが、ラストある患者を独断で安楽死させて幕を閉じる。「死なせてくれ」という幻聴によって生命維持を停止させるのだ。嘘くさいハッピーエンドとは違う、皮肉の効いた素晴らしい終わり方だと思った。

作中ほとんどのシーンが夜だ。夜のニューヨークがもう一人の主人公と言ってもいい。一番好きな場面は、ベランダの鉄柵に体を貫かれた男を救助するくだりだ。ジャンキーに襲われ下の階に飛び移ろうとして失敗した売人。彼を搬送するためにバーナーで柵を焼き切る。火の粉が夜空を花火のように美しく舞う。このシーンを見返す度、泣きそうになってしまう。『救命士』は、ある時代のニューヨークを切り取った映画だ。現在ニューヨークは健全な街へとすっかり様変わりをした。夜空に散る無数の火花は、時代の瞬間性を象徴している。泣きそうになるのは、その美しさと儚さに、映画と出会った若き日の自分や過ぎ去った感情を思い起こしてしまうからだ。荒廃したニューヨークと同じく、実際は美しくもなんともなかったというのに。

新しいものと出会う目的ではなく、過去の自分と出会うために映画を観る。昔は無かった後ろ向きの感覚だ。このコラムで繰り返し語っていることからわかるように、良くも悪くも癖になってしまう。フランク曰く「命の救う経験は、世界一の麻薬」だそうだ。「世界一の麻薬」は、命を救う経験ではなくノスタルジーなのかもしれない。

柘植文の編集部かんさつ日記 第696話「これからも」

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(次回は9月14日更新です)

柘植文の編集部かんさつ日記 第697話「編集部ミニニュース4つ」

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(次回は9月21日更新です)






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